報徳とは

報徳とは、二宮尊徳(1787年~1856年)が、その生涯の生活と体験を通じて社会道徳の規範を考え、人間として社会生活を行うための行動の基本となるものをつくり、自ら実践し、それをそのまま雛形として後世に伝えられたものであります。

その特色とするところは、生活信条となる道徳、即ち生活やモラル等一般的な道徳活動と経済活動は、別々なものであってはならないとされています。

私 どもは、自分の利益や幸福を追求するだけでなく、父母、夫婦、兄弟を始めわれわれをとりまく一般社会、広くは天地大自然から受けている恩徳に感謝し、これ に報いる行動をとることが大切です。それがまた、人々の為、社会の為になるばかりでなく、自分の為にもなり、結果的にその行動が経済的利益とむすびつくと 考えます。したがって、あくまでも道徳と経済とは一元化されたものであるとされています。


報徳思想と大日本報徳社の歴史

 報徳運動は、明治維新前後の日本の近代化黎明期に、二宮尊徳の唱えた報徳思想の普及をめざし、道徳と経済の調和を説き、困窮する農民の救済をはかり、全国に広まりました。この遠州地方には安居院義道庄七がもたらしました。そして、尊徳高弟の岡田良一郎の指導活動が盛んだった掛川は、やがて全国の報徳運動の中心となり、「大日本報徳社」が開設されました。
 二宮尊徳は幼名を金次郎といい、少年時に両親と死別。以後、貧しい暮らしの中で勤労に励み、独学で豊かな見識を育み、全匡名地の困窮した600余の農村の救済に手腕を発揮しました。
 その行動から培った知恵を、二宮尊徳が体系化して唱えたものが「報徳の思想」です。それは、様々な生活様式(仕法)として人々の暮らしに定着していき、その教えを百八文字にまとめたものが「報徳訓」です。
 人間の欲を認めながらも、周りとたくみに調和させ、心もお金も同時に豊かに育もうという倫理思想は、農村救済の枠を越えて幅広い分野に浸透しました。渋沢栄一、安田善次郎、豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫をはじめとする、多くの経済人たちにも多大な影響を与えるなど、今も脈々と息づいています。
 尚2003年からは、北京大学等から都市農村の格差是正思想として尊徳思想が評価され、国際二宮尊徳思想学会が隔年に開かれています。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     安居院義道庄七

 

【報徳訓】
報徳の教えを百八文字にまとめたものが「報徳訓」です。

 

「報徳訓」

岡田良一郎直筆

(大日本報徳社二代目社長)